1人の女性がエンジニアになるまで 〜Kinokoの場合〜

どうも、お久しぶりです。なんと2年ぶりのようですね。

少し前、wirohaさんのnoteや、それに倣った「〜xxの場合〜」という記事がたくさん投稿されていました。 note.com

もちろん私も、そういう記事を目にしたり、実際に読んだりしました。
ただ、みなさんの経歴があまりに華々しく、私のことなんかは誰の参考にもならないだろうと思って、特に記事を書くこともなく(仕事が忙しいのもあって)放置していました。
あと、自分の経歴なんかはTwitterに断片的に投稿していて、それが特に大きな反応もなかったことで、余計に需要の無さを感じていました。

ところがこの記事を執筆している今日、Clubhouseで「ぜひキノコさんにも記事を書いてほしい」ということを言われて、それならばと久しぶりに筆を(キーボードを?)とったわけです。

これは、幼少期からエンジニアの親父の背中を見て育った女が、普通に結婚して子育てをして、それほど高くもない年収を得るようになった、そんなお話です。
無駄に長い上に、誰かに憧れられるような人生でもないですが、参考になる人が一人でもいらっしゃったら幸いです。

まず今の話をします。

2018年11月に開業届を出した、まだまだ駆け出しのフリーランスエンジニアです。
講師業をしたり、プログラミング教材作成をしたりして収入を得ています。
昨年の10月からは、初の受託開発に挑戦しています。(ちょっと難航していますが・・・w)
たくさん働く日もあれば、4時間くらいしか働かない日もあります。平均的には8時間〜10時間くらいかな。
現在の年収(売上)は、400万前後。昨今言われているようなキラキラフリーランスエンジニア像とは程遠いです。

プライベートの話でいうと、中1と小5の娘がいます。どちらも手のかからない子達です。
趣味はDIYと料理、あとは人と話すこと、時々ゲームと漫画に没頭します。

幼少期

1980年生まれ。父がITエンジニアです。私が10歳くらいのときにフリーランス(当時はそんな言葉はなく「独立」とか言ってた)になり、60を過ぎた今も現役です。
物心ついたときには既にコンピュータという存在があり、足し算や引き算は父がFORTRANで組んだゲームで学びました。
小さい頃から「もののしくみを知ること」が大好きで、おもちゃ屋さんに行っては、気になったおもちゃの外箱の仕様を読み耽っていました(買ってもらうことには興味がなかった)。
少し大きくなってからは、壊れた目覚まし時計の分解が大好きでした。
あと、3歳の頃から英語を習っていました。これはキーボードに抵抗がなかった一因かもしれません。

小学生

ゲームが大好きで、ずっとゲームばっかりやっていました。
女の子とはあまり気が合わず、男の子とゲームの話をしていました。
そのせいもあってか、「男性の中に紅一点」という環境が当たり前になっていました。これはその後の人生にも大きく影響していると思います。

はじめてのプログラミング

上記のような環境のせいで、いつからプログラミングを始めたかを覚えていません。
父のお下がりで「NEC-PC8801」や「NEC-PC9801」を触っていたのですが、小5のころにBASICで鶴亀算の解を出すプログラムを書いたのが、ちゃんとしたプログラムを組んだ記憶の一番古いものです。
多分それまでにも、ファミリーベーシックとかでちょっとしたゲームの写経はやっていたと思います。

中学〜高校

中学受験をして6年一貫の私学に入りました。
中高を通して校内での成績は良かったです。
中学のうちは男子とオタク話ばかりしていて、相変わらず女子と馴染めませんでした。
この頃にはすっかり女子が苦手になってしまい、実は今でも引きずっています。
男性と話すことに全く抵抗がないのに比べて、女性と話すのにはひどくMPを消費します。
それはともかくとして、当時(密かに)好きだった男子からTRPGに誘われてよく遊ぶようになり、ラノベロードス島とかスレイヤーズとか)を読み、どっぷりオタク生活を満喫していました。
高校になってからは一般のTRPGサークルに所属しました。
数学の教科書の後ろにあったBASICをやったりする以外にはプログラミングはほとんどせず、一太郎ラノベを書いたり、絵を描いたり、とにかくオタ活ばかりやっていました。
高校は特待生だったので成績を下げるわけにはいかず(毎年更新の審査があった)、オタ活以外の時間はほとんど勉強していました。
進路の話なんかでは、子供が好きで面倒見が良かったのもあり、保育士という選択肢も上がっていました。
とはいえ、やはりなんとなくエンジニアになるんだろうなぁという気がしていました。
(理系コースでしかも特待生だったので、それなりの大学に入ってほしいという先生がたの希望もありました。)

大学

期待されていた国立大学には入れず、滑り止めで有名な工学部メインの大学の情報工学科に入りました。
意外にも、当時、情報工の学生30人の中で、大学入学前にプログラミング経験のある人間はわずかしか居ませんでした。
私は小学校低学年のころからプログラミングをしていたし、大学でCを習った時には、鬼門と言われるポインタなんかも、全く違和感なく理解できました。
でも、数学が苦手だった私はすぐ挫折しました。大学の教授には「君は専門学校の方が花開いたかもしらんね」と言われました。
それからは、カテキョのバイト(それなりにいい大学なのでカテキョの口に困らなかった)をしたり、漫研や合唱団にのめり込んだり、ゲーセン通いでダメ男と付き合ったりして、結局大学に5年間通ったものの、取得単位は60くらいでした。
結局大学は中退しました。
まぁ、実は今になって情報工学の基礎を学び直すために放送大学に通っていたりするんですが・・・。 (←若いみんなは親がお金出してくれて、時間があるうちにちゃんと勉強するんやで)
プログラミングは、VBとかCとかを触ったり、趣味でぼちぼちと小さなプログラム(アプリってほどでもないもの)を書いたりしていました。あとTeXでカテキョで使う数学の教材を作ったりもしてました。
あと、女というだけでとにかくチヤホヤされたので(学部30人中女子2人)、オタサーの姫状態になっていました。
相変わらず女性が苦手だったので、そのほうが居心地が良かったという・・・。

フリーター時代

カテキョを続けつつ、ファミレスのキッチンのバイト、弁当屋のパートなどをしていました。
プログラミングなどする暇もなく、とにかく働きまくっていました。
この頃のストレス発散といえば、大学の合唱団に顔を出しては後輩にご飯を奢ることでしたね。
大学の合唱団とゆかりの一般合唱団にも所属したりして、合唱とともにあったフリーター時代でした。

初めての仕事

しばらくそんな生活をしていたのですが、年の離れた弟が母校に入学するというので、先生方に挨拶に行きました。
元担任の先生に「お前今何してるの?」と聞かれて、「ホカ弁でパートしてます」と言ったら、「アホかうちで働け」と言われ、5月から母校で働くことに。
なんと、正社員ではないとはいえ、就活を全くせずに仕事が決まってしまいました。中高の成績が良くてよかった・・・。

当時母校は、他校に先んじてICT推進プロジェクトみたいなのが走ってて、ICTコーディネータ助手として嘱託職員になりました。
プロジェクトといっても、実質私と唯一の上司(今も大尊敬している先生)の二人の、小さなものでした。
入社(入校?)してすぐは、LANケーブルを引っ張り回す仕事とか、ghost castでPCの定期メンテをしたりとか、どちらかというと物理レイヤーの仕事をしていました。
上司に色々なことを教わりながら、先生方のITサポートデスク的な仕事や、サーバメンテなんかもできるようになりました。

そんな折、上司が「キノコはプログラミングできるやろ。ちょっと作ってほしいものがあるねん」と、学内の情報共有システムの作成を任せてくださいました。
メインの仕事の合間に、好きに作っていいということで、Pearlやらphpやらを勉強し始め、当時ベータ版だったmixiとか、サイボウズの情報共有アプリなんかを参考に、グループウェアを制作しました。
これが初めての「仕事としてのプログラミング」(ただし本業はあくまでもICT助手なので、仕事とは言えないかもしれない)でした。
こいつが我ながらよくできたもので、先生がたにも気に入ってもらえて、情報学会?みたいなところで発表する機会をいただきました。
その発表を見ていたとある出版社からお声がけがあって、とあるシステムを作ることになり、これにJavaが向いてると思って、そこからJavaを勉強し始めました。この時にJavaを知り、Javaの良さにハマりました。当時1.4だったかな。
実はこのシステムは未完に終わりました。その学校で今の夫を見初めて、結婚、妊娠して退職することになったからです。
結局入社から3年くらい働いての、一人目の妊娠。ひどいつわりで休みがちになり、そのまま退職しました。(正社員ではないので産休などはなかった) 長い妊娠出産子育てブランクが始まります。

出産と子育て

私は、子供が小さいうちはできるだけ子育てに専念したいと思っていました。
実際、ワンオペ育児の中、たまにはコーディングをするものの、何かが作れるわけでもありませんでした。
時々、在職中に作ったグループウェア(離職後も5年くらい使われていたらしい)のリファクタリングをしようとしたりしたけど、ちょうどphpオブジェクト指向に切り替わったばかりで、ついていけず断念。
また、日曜大工や料理にもハマり、そちらに興味が持ってかれたのもあります。

再就職

実際にプログラミングを仕事にしはじめたのは、下の子が幼稚園の年長になった頃。実に9年ほどのブランク。
合唱団のつながりで、10人ほどのちいさなシステム開発会社に嘱託勤務という形でした。
子育てしながらのフルタイムは私には無理だったので、10時〜14時の時短勤務。しばらくしてリモート勤務に切り替えていきました。
ここでは、Javaでとあるオープンソースフレームワークにコミットするのが主業務でした。
勉強会に参加する機会を得て、人とのつながりを増やしていった時期でもあります。
ここで拾ってもらえなかったら、フルタイム勤務可能な人に競り負けて、どこにも雇ってもらえなかったところでした。
実際、いくつかの会社の面接を受けたけれども、全滅でした。
給料は安かったけど、本当にたくさん勉強させていただいて、今でもすごくすごく感謝しています。

その後コミュニティ活動などを通して、色んなところからお仕事の声がかかるようになり、この会社で働く傍ら、長年のカテキョ経験を活かして講師業や教材作成(業務委託)も始めました。
(そういえばこの会社との契約って今どうなってるんだっけ?嘱託って更新しなければやめたことになってるのかな?)

講師業

講師業はすごく肌に合っていて、毎日沢山の生徒さんを教える毎日は楽しいものでした。
収入も安定し、開業届を出して小さな個人塾(プログラミング教室)もはじめました。
傍らで、CoderDojo阿倍野を立ち上げたり、いろんなコミュニティ活動をしました。
女性が苦手なのでいわゆる「女性のためのコミュニティ」には参加していませんが、女性エンジニアが増えるといいなという気持ちは強いので、今も遠くから発展を見守っています。

ある時、夫が心の風邪に罹り、世帯収入が厳しくなったのをきっかけに、初めて常駐勤務に入りました。
私自身の収入(単価)が大幅にアップしたのはこの時。
1年ほど頑張ったけど、やっぱりひと所にいるのは合わないと思って、契約を終えました。これが去年の9月くらい。

アプリ開発とスタッフ

10月からは講師業に戻るかと思いきや、中高の知り合いからあるWebサービス開発を頼まれました。
そこで、かねてからアイデアを温めていた「エンジニアの卵をOJT的に使って育てる」ということをはじめました。
Webサービス開発自体は結構難航していて、色々考えさせられることが多いのですが、スタッフは今の所少しずつ育っている感じです。なんと、3月末が納期なので、実は今、絶賛追い込み中です。

エンジニアになった・・・のか?

プログラミング歴だけは長く、フリーランスエンジニアを名乗ってはいるものの、実務経験は浅く、会社や学校で働いていたときも正社員ではなかったため、本当に自分はエンジニアなのか?と自問し続ける毎日です。
年齢に比べて実績が少ないのは、子育て中は子育てに専念したいという思いがあって、キャリアを諦めざるをえなかったのが大きいです。
ただ、ITエンジニアなら(私はしなかったけど)、子育てと両立しようと思えばできるとも思っています。
楽に稼げるとかいうわけではないです。誰でも簡単になれるわけでもないです。あくまでも、時間と場所の制約が少ないだけで、努力は必要です。
それでも、ITエンジニアなら、いろんな可能性があると思います。
実際、エンジニアの方々は男性でも子育てに参加している率が高い気がします(あくまでも私の周りの観察体感)。 男女問わず、子育て、介護など、時間や勤務場所の自由がきかない人がたくさんいる中で、ITエンジニア業という選択が少しでも手助けになることを祈っています。

願わくば、「キャリアか、女の人生か」などという「どちらか」を選ばざるをえない女性が減りますように。

長々と拙い文章を綴りましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

エステに行った話

気づけば毎日コミットとは程遠く、かなり久しぶりの投稿となりました。 みなさまお元気でしょうか?

さて、実は私、去年の夏の終わりから先日まで、エステに通っていました。 今回はそのお話をしようと思います。

なんのためにエステ?

痩せるためです。 生まれてこの方、スリムだったことがない私。 万年ダイエッターとして、いろんなダイエットに挑戦しては続かず諦めていました。

その中でも、わりと効果のあったものとしては、

  • 糖質制限 5kgほどの減量と引き換えに壊れた内臓を得ました。
  • スクワット 体重は減らなかったけど(むしろ増えた)明らかに背中あたりが引き締まりました。あと腰痛膝痛改善。

しかし決定打にはならない・・・。 ここはいっちょ、課金してみるのはどうだろう?? そう思って、某エステサロンの体験に申し込みました。

どんなところ?

家から公共交通機関使ってdoor2doorで30分くらいの場所にある「痩身専門エステサロン」です。 脂肪をモミモミされている写真と、「-3kg!!」とかいう宣伝文句の、まあありきたりなやつです。 そしてありきたりな体験エステの申し込みへのフロー。 ポチッと押すと、折返し電話があって体験予約完了。 そして、初来店。 ちなみに男性お断りでした。 痩身専門といえども、ネイルやフェイシャルもやっているようです。

体験どうだった?

まずは採寸。自分の体型、体重が可視化されることで、かなりの精神的ダメージを負いました。 そのあと、風呂やらサウナやらを自由に30分。身体をじっくり温めます。

そしてベッドに半裸(紙パンツ一丁、胸にはタオルをのせる)で寝っ転がり、エステ施術開始です。

  1. ラジオ波マッスィーンで腹の脂肪を温める。牛脂を電子レンジにかけると縮むアレ。
  2. 腹、脚、腕などをハンドマッサージ。融けた脂肪をリンパに流していく、らしい。
  3. 裏向き(うつ伏せ)になってさらにマッサージ。

マッサージは割と痛かったですね。人によっては内出血するらしいです。私はしなかったけど。 これは体験のあと何回か通ってわかったことなんですが、施術者によってやり方がかなり違いました。 あまり痛くないのにすごくむくみが取れた人もいて、その方はいかにもベテランなおばさんでしたね。

施術中は、基本痛みに耐えながらお姉さんとお話したりという感じなんですが、特筆すべきは、 あ つ い ! !

まずベッドが温かい、いや、暑い。 その上にビニールシートのようなものがかかっていて、私をグルッグルに包みます。サウナスーツ的なやつですね。まるでミイラになった気持ちです。(ミイラのガリガリっぷりにあやかりたい) さらに、その上に、電気毛布が3枚くらい掛けられます。重いし、あつい。腹をやっているときは脚に、脚をやっているときは腹に、とにかく加熱されます。 汗はダラダラ出ます。自分の汗がビニールシートの中でビチャビチャするくらい汗をかきます。

70分〜80分くらいでしょうか、とにかく、痛さと暑さに耐え続けます。(腰とか肩甲骨まわりは気持ちいい)

で、お値段は?

体験エステ後、「感想を聞かせてください」という名目での「激しい売り込み」!! これは元々想定していたし、半分以上申し込む気でいたので、まぁいいのですが、やはりお値段が強気・・・。 いろいろな攻防の末、20回コース(2回おまけつき)を申し込みました。 ローン期間を36回にしたので、結構な金利が上乗せされてしまい、結局総支払額40万くらいになりました。 ちなみに、同じコースを単品でやると、1回4万近くするっぽいです。

効果は?

はじめ、「2週間に1回くらいのペースで」と言われて、そのつもりで次の予約を取りましたが、妹に「それは効果を出させず継続契約取るための作戦」と言われたので、次から1週間に1回とか、2週間に3回くらいのペースで行くようになりました。 (ちなみに妹は同エスサロン系列店勤務経験ありです)

では、結果を御覧ください!!!

体重増減グラフ
体重増減グラフ

青い線が施術前(風呂に入る前)の体重、赤い線が施術後の体重、黄色が施術前の体脂肪率、緑が施術後の体脂肪率です。 体重は1メモリ1kgです。体脂肪率は1メモリ5%くらいかな。

一番少ないときで0.6kg、一番多いときで1.4kg、毎回それくらい減っているのですが、正直汗が出ただけな感じ。 確かにむくみはよく取れました。施術後、家まで歩いて(45分くらい)帰るとき、かなり身体が軽く感じました。 じゃあ脂肪が落ちるのかというと・・・・、グラフの左端と右端を見比べてください。全く効果が出ていませんねwww 体脂肪率もとくに変わっていません。 体重の底は10月、11月くらいなんですが、これ、単純に仕事忙しくてあまりご飯(特に昼)食べれてないんですよね。

結局、むくみと疲れは取れるけど、これなら普通のマッサージ屋で良かったなって感じです。 スリムになったのは財布だけでした。

次は?

実は今、Nintendo SwitchのFit Boxingをやっています。 1月末から始めたので、だいたい3週間位経ちましたが、毎日続けられています。 現状、体重の増減はなく(むしろ微増←いつもこれ)、ただただ筋肉痛に苦しむ毎日ですが、そのうちまた結果をレポートしたいと思います。

技術ブログをQiitaからココに乗りかえる話

Qiitaアカウントにログインできなくなったので、技術系のお話を、このブログのほうに移行することにした。

経緯

  1. Qiitaの二段階認証を有効にする
    仕事でQiita Teamに入る必要があり、その際アカウントに二段階認証をかけるようにと言われた。
    まぁ、別に何の疑問もなく、二段階認証をかける。

  2. google Authenticatorで二段階認証する
    個人的にはこれが結構な敗因。(後述)

  3. iPhoneを買い換える
    娘にスマホを持たせたいというのもあって、新しく自分用のiPhoneを買う。
    今まで使っていたiPhoneは初期化して娘に。新しいiPhoneはバックアップでデータを引き継ぐ。

  4. 二段階認証ログインできない!!!!!

敗因

  1. Google Authenticatorのデータはバックアップで引き継がれない
    実は知られていない、2段階認証アプリの落とし穴について | ARUTOKO(あるとこ)
    これ皆さん、マジで気をつけて。
    iPhoneの良さって、バックアップを引き継ぐことで、ほぼシームレスに新しいものに移行できるところだと思っていたのだけれど、思わぬ落とし穴だった。

  2. 二段階認証のバックアップコードを取っていなかった
    Qiitaでは二段階認証設定時に、二段階認証がうまくいかなかったときのための、バックアップコードが発行される(らしい)。当時目にも留めていなかった。
    バックアップコードはファイルとしてダウンロードし、ローカルに持っておくもの。これがあれば問題なかったのにね。

  3. Qiitaの規約、なかなか厳しい
    二段階認証の強制解除 - 生産性を向上させる情報共有ツール - キータチーム(Qiita:Team)
    仕事でQiita Teamに属しているので、このチームの管理者からお願いしてもらえば復帰できるようなのだが・・・、ただでさえ忙しい弊社長に負担をかけるのは申し訳なく。
    また、自身の社内での立ち位置的にも、もういいかな・・・なんて思った。

今後

最初にも書きましたが、今後はこちらのブログに「技術系」というカテゴリを作って投稿していこうと思う。 とりあえず、私のような失敗をする人が減ればいいなと思って投下。

キノコ、CodeCampの講師を始める

最近プログラミング教育界はものすごい賑わいを見せていて、大人向け、子供向け、オンライン、オフライン、手を替え品を替えての顧客争奪戦が相次いでいる。

かくいう私も、一年ほど前に、自宅でプログラミング教室など始めてみたわけだ。

家の前に看板を出したり、サイトを作ってみたり、それなりには宣伝もやっているのだけど、今のところ体験レッスンや夏休みの格安講座以外は誰も来ず。もはや開店休業状態である。

さてどうしたものか。販促活動をするにも原資がなく、まずは原資を稼ぐか…、今の仕事(教室を除けば2つ)をもっと頑張るか…、などと思っていたら、友人からCodeCamp講師を勧められた。

 

CodeCampはオンラインプログラミングレッスンの先駆けらしい。「現役エンジニアが教える」をウリにしているため、フリーランスや副業の人が働きやすいようなシステムが満載されている。

実は、CodeCampは以前にも自身で目をつけていて、しかし当時は「うまく教えられないかも知れない」「自分の技術力が講師レベルなわけなかろう」などと色んなネガティブリーズンが湧き上がってきて、まあ結局エントリしなかった。自己評価が低い人間というのはめんどくさい。

しかし、今回は私のことをよく知る友達に勧められたのもあって、「とりあえずエントリくらいは…」と、エントリを送った。Google formでアンケートにポチポチ答えるだけの簡単エントリである。

しばらくして、面接と模擬授業の日程の打診が来た。

仮の講師アカウントが与えられ、オンラインの教科書や、講師の心構えなどが見れる。

そこから数日は、模擬授業の準備をして過ごし、面接と模擬授業の日を迎えた。

CodeCampの良いところは、「すべてがオンラインで完結する」ところ。

面接と模擬授業も、オンラインでの実施である。

そうそう、ちょっとでもいい印象を与えるために、USBカメラを買い、背景用(部屋のごちゃごちゃが映らないように)の布を買った。

模擬授業は手応えが良かった。これで落とされることはなかろうと、少し安心して、合否を待ち、しばらくして合格通知と、(講師としての)研修、契約締結の日程が送られてきた。

研修もオンラインである。契約書も、オンラインの契約締結サービスがあって、それを利用している。本当に全てがオンラインなのだな、と思って感心した。

 

そんなわけで、5月の終わりあたりから、晴れて講師として働き始めたのだが、正直とても働きやすい。自宅でパソコンの前に座って気持ちよく40分喋り、ちょっとしたレポートを書く。家事の合間や、今までダラダラとツイッターをしていた時間などを空き時間として登録しておくと、生徒さんが予約を入れてくれる。ほんの少しの隙間時間に、効率よく仕事ができるのは本当に素晴らしい。

 

さて、デビューから2週間が経ち、そろそろ他の仕事のほうもやらないといけないので、来週からは少しペースを落とすことにした。(入れたら入れただけ儲かるので、つい調子に乗ってたくさん入れがちだった)

あと、HTML/CSSもレッスン可能に登録していたが、こちらは数レッスンやって不適合だと思ったので、早々に外してもらった。しばらくはJava一本で行く予定。

 

まあそんなこんなで、しばらくはお財布があったかいので、我慢していた消費活動なども積極的にやっちゃおうかなと思っている。

キノコ、リモートワークについて語る

昨今、リモートワークについて色々議論がなされているようなので、リモートワーク中心の生活をしてる私もつれづれと書いてみようと思う。

キノコのお仕事

今やってる仕事は主に3つ

  • うえだうえおうぇあ勤務
  • プログラミング塾の教材作成
  • 自宅プログラミング教室

うえだうえおうぇあ(通称:うえだ社)

従業員10人前後のとても小さい会社。 嘱託で時給制。出来る時間に出来るだけ働いて、勤務時間の報告は日報と、それをまとめた月報で。 正直言い値みたいなもん(サボってようが日報に勤務と書けばチェックする手立てはないので)だけど、そこは信頼関係で成り立ってる。 社長は私の性格や能力をだいたい把握しているし、仕事を振られたら(自分で)ある程度見積もり立ててチケット書くので、大きく乖離することはない。 出社は、月イチの全社会議に出席するのと、新しくお仕事を頼まれたときの打ち合わせ程度。 ただ、最近弊社はコワーキングスペースを始めたので、店番のために出社したりもちょこちょこあったりなかったり。 一応、仕事カテゴリではここに軸足があるつもり。

教材作成

最近お願いされて始めた仕事。こちらは個人事業主としての業務委託的な感じ。 時給制で、うえだ社と同じく言い値方式だけど、今のところ文句は言われていない。 月一回程度の対面打ち合わせ。 動画教材の原稿を書いたり、サンプルプログラム(今はScratch)を組んだりしている。 時給はうえだ社よりいい(ここ大事)

自宅プログラミング教室

まだ生徒が1人なので、正直お小遣いにもならないけど、ゆくゆくはこっち方面(教育関係)を主軸にしていきたいと思っている。 週1回・1回1.5h で、3000円/月 初めての生徒さんでしかも低学年だからという理由で安くしているけど、4月からは5000円/月にアップする予定。 ちょうど家事の合間時間(15時半〜17時)を使っていて負担が少ないのと、ご近所の子供たちに気軽に受けて欲しいのとで、あまり値段を上げる予定はない。 この仕事については、リモートでもないので詳しくは触れない。

なぜ、リモートワークをするのか

私の場合、一番大きい理由は「リモートワークが私の特性を活かすから」

うえだ社で働き始めたときは、下の子どもがまだ幼稚園でフルタイム勤務が難しかったので、週2〜3日、10〜14時の時短勤務をさせてもらっていた。 当時はやはり「子育て優先」というと、なかなか雇ってもらえなかったので、うえだ社で雇ってもらったことにとても感謝している。 そのうちだんだんリモートに切り替えて(この辺わりとなぁなぁでw)、今ではほぼ完全リモートになっている。 なので、実は子育てが理由でリモートになったわけではない(要因の1つではあるけど) 実際今は、娘二人共小学校だし、出社しようと思えばいつでもできる。 しかし敢えてリモートを選ぶのは、やはり「向いている」からだと思う。

長い集中時間と中間の存在しないパフォーマンス

自分の集中時間が他の人に比べて長い、というのを知ったのはつい最近だったりする。 だいたい4時間が1タームで、10時〜14時が多い。ノリノリの時は、一日に3タームくらい集中できる。 集中時のパフォーマンスは圧倒的だが、「集中できないながらもそれなりに」というのはとても苦手である。正直、ブーストがかかってない時の私はほぼゴミであるw また、ブーストタイムを自分でうまく調整することができないという欠点もあって、例えば出社が必要となると、ブースト可能時間に電車に乗ってたり、逆に、会社にいるのに全く仕事が進まないなんてことになる。 リモートだと、「キタッ」って瞬間に仕事を始めて、「プシュー」っとなったら止められるので、いつでも最高のパフォーマンスが出せるのである。

基本的に努力家で真面目

普段チャランポランに生きてるので、あまりそうは見えないかもしれないが、基本的に努力家で真面目である。 自分で言うと説得力ないな?w まぁしかし、私をよく知る人に聞いていただければ、首を縦に振ってくれるのではないかと思う。 期待されると頑張ってしまうし、結果を出すのが大好きである。 何より、頑張っている自分が大好きである。 ようするに、「信頼関係を築きやすい」性格なのである。 リモートワークでは、この信頼関係は非常に大事だと思う。誰だってサボってる人間に給料を払いたくはないだろう。 勤怠を監視しなくても、期待したくらいには働いてくれるので、リモートワークを許可しやすいと思う。

圧倒的コミュ力

はいそこ失笑しない!! 私はとにかくよく喋る。オフラインでもオンラインでもめっちゃ喋る。 報告も結構マメにする(するように心がけている)。 使う側からすると、状況を把握しやすいという利点があるし、私は、みんなに自分をわかってもらえているという安心感がある。

お金に困っていない・一箇所で稼がない

完全リモートで、家族の生活を支えるくらいに稼ごうと思うと、結構厳しいかもしれない。 私は、自由に働かせてもらっている分、そんなにたくさん仕事しないし、時給も安い(ぶっちゃけコンビニ店員くらい) 使う側から見て「それなりの金額でそれなりに働いてくれる人」という立ち位置をキープできるのは、案外いいのかもしれない。 また、収入源を分散することで、リスク分散というか、調整がききやすくしている。

課題

モチベーション管理がいちばんの課題。もう少しブーストタイムつまり「実稼働可能時間」を増やしたいところである。 「やる気がない時を基準に」みたいなことを言う人がよくいるけど、私の場合はモチベーションの差が激しくて、それをするとゴミレベルの仕事計画になってしまう。 なので、ある程度自分を信じてあげた上で、モチベーションを上げるきっかけを作っていくしかないのかなと思っている。 他には、今よりもっと「ホウレンソウ」をマメにしたりするといいのかな。

まとめ(られなかった)

書いていると、自分が特殊ケースすぎて、あまりみんなの参考にならない気がしてきた。 消すのももったいないので、とりあえず公開しておく。

「リモートはいいぞ」

着物で自転車もアリでしょ

着物を着て生活していると、意外に早くぶち当たる壁が、自転車です。

うちは車がないから余計ですね。

移動はほとんど自転車。最寄駅まで行くのも自転車。
はじめは、着物がはだけないように手で押さえたりしていたのですが、片手運転になって危ない。
そこで、ネットを駆使して色々調べていると、「自転車袴」なるものが存在することがわかりました。
ただこれ、ちょっと脱ぎ着しにくい。着物をたくし上げるので、人前で、「ちょっと失礼」ってなると、ちょっと失礼では済まなさそう。

 

で、色々調べたり考えたりした結果、袴風エプロンを作りました。

大きな布をタック取って紐つけて縫うだけ。縫う距離は長いけど、全部直線縫いです。
エプロンなので、着脱もスムーズ。コンパクトに畳んで、鞄にイン✨
自転車漕いではだけても、見えないーー!!

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一つ難点があるとしたら、ロングスカートみたいになるので、自転車の形によっては、着物が汚れてしまうかもしれません。私は基本的に洗濯機で洗える着物を着てるので、あんまり気にしませんがw

 

今のところ、ご近所界隈で着物着て自転車乗ってるのは私以外見たことありませんが、着物姿の人、着物で自転車にも乗っちゃう人が増えるといいなー!!っと思ってこの記事を投下します。

膵臓を悪くして禁酒していたはなし

主語を大きくしすぎて炎上する、ということが多い昨今なので、予め断っておきます。

この話は、性格や体質に大きく依存するものです。全ての文の頭に「わたしの場合」が付くと思って読んでください。

あと無駄に長文です。すみません。

 

禁酒をするに至った経緯

1. 糖質制限

4〜5年くらい前に、糖質制限をしていました。大好きだった日本酒を控え、低糖質な焼酎などをよく飲みました。

食べ物は、米は朝のみ、昼晩は主に肉類を食べていました。あとチーズやアボカドとかをおやつにしていました。糖質制限的にはマヨネーズはオッケーということで、マヨネーズなんかも結構使っていました。

過去様々なダイエットに失敗していたのですが、好きなもの(肉類やアルコール)をやめなくてよい、というので、初めて成功したダイエットでした。効果はかなりあり、トータルで8キロくらい落ちたのではないでしょうか。

しかし、この頃の食生活(低糖質高タンパク高脂肪)が、私の内臓をじわじわと蝕んでいたようです。

 

2. 母の癌

5年ほど前、母が膵臓癌を患いました。正確には、ずっと進行していたものが発覚しました。ステージⅣでした。

結局母は1年半ほど前に亡くなりましたが、それはまた別の話としておいておきましょう。

母から、症状について、色んな話を聞きました。癌発覚前に「焼肉を食べるとお腹を壊す」「サバを食べて、あまりの腹痛に救急車を呼んだ」ということが度々あって、「あれは膵臓のせいだったんだねぇ」という話をしていました。

 

3. 身体の調子の変化

まず現れたのは高血圧でした。加工肉食品をよく食べていたので、塩分の摂り過ぎと高脂血症が原因だと思われます。70-90台だった血圧が、90-130まで上がりました。これが3年半前くらいかな。

次に、よくお腹を壊す、いや、常にお腹がゆるい状態になりました。胃腸だけは丈夫だったのに…。3年くらい前のことです。

そして、アルコールに弱くなりました。2年半前の5月にキノコ亭をしたのですが、かなり悪酔いしてしまいました。

 

で、これはおかしいぞ、ということで、母のかかりつけのお医者さんに検査してもらうと…、「慢性膵炎」という診断でした。膵臓が弱って、膵液が膵臓自身を溶かしてしまうという病気です。

 

「油分、特に乳脂肪を控えて、お酒はやめなさい」という診断でした。

糖質制限の終わりと禁酒の始まりです。

 

禁酒中の飲み会

1. 飲食そのもの

急に禁酒を言い渡されたので、はじめのうちはかなり辛かったのを覚えています。お酒のおいしさを知っているだけに、我慢するのはしんどかったです。大量の薬を飲まなければならなかったのも、年寄りみたいで恥ずかしかった。

脂っこいものは今でも大好きなのですが、当時はほんとうにすぐお腹が痛くなるので、そういうものが食べられないのも苦痛でした。(つい食べてしまってお腹が痛くなるのも)

とにかく、飲み食いそのものについては、慣れるまでは苦痛ばかりでしたね。

慣れてくると、ノンアルビールを飲んだりして、少しずつ気の紛らわし方を覚えていきました。お腹の痛くなる食べ物も、少しだけ食べるとか、食べたあとにお腹が痛くなるのを見越した上で時間をみる、とかで、ストレスなく楽しめるようになりました。

 

2. シラフで盛り上がること

これは当初からあまり苦痛を感じませんでした。

元々よく喋る陽気な性格なのと、人に会うことそのものが大好きなので、酔っていても酔っていなくても、同じテンションで居れました。

あと、基本的に素面なので、みんなの話をよく聞きよく覚えていられる、ということがてきるようになりました。

また、次の日にお酒が残る地獄を味わうことがなくなりました。(これは大きい)

 

禁酒が明けたはなし

禁酒を始めて1年くらいすると、酷い症状はなくなりました。薬をやめて、食事療法のみに切り替えました。

その後は、良くなったり悪くなったりしながら、長期的には少しずつ良くなっているようでした。

が、今年の8月くらいに、ちょっと無茶をやらかしました。

ドラクエ11を1週間で90時間やるとか、仕事を短時間に詰めてやるとか、そういうことをしました。思いっきり身体壊しました(精神は充実していた)。

高熱を出して、お腹を下して、胃がムカムカして、膵臓のあたりも痛い…。やばい、これはいよいよ膵臓が半分くらいになったのではないか…と心配になり、同時に、セカンドオピニオンも欲しかったので、それまで通っていた病院とは別の、家の近くの消化器内科の専門医にかかりました。

丁寧なカウンセリングと検査で、出た結果。「膵臓は元気です」「コレステロールが高い」「アルコールは嗜む程度に。むしろカロリーを気にして」「膵臓のはたらきは弱めだけど、診断がつくような程ではない」ということでした。

長い禁酒生活が実を結び、少し膵臓が良くなったのでしょうか、それとも前の先生が大袈裟目に言っていたのか…(直前の胃腸の不調はストレス起因だという結論に)

ともかく、今でも、生クリームとかチーズをたくさん食べると、必ずお腹を下すので、まあこの辺は付き合っていくしかなさそうですね。

 

禁酒生活を振り返って

飲み会というものに「うまいものを食べてうまい酒を飲む」という意義を求めるならば、私の禁酒生活は制限が多いものでした。

が、私にとっての飲み会は「(アルコールが入って程よく饒舌になった)人とコミュニケーションを楽しむ」ことだったようです。それを改めて実感できたのが、この2年半の禁酒生活でいちばんの実りでしたね。

 

今後は、内臓を労わりつつ、お酒は嗜む程度に楽しみたいと思います。

 

あ、糖質制限で痛い目にあったので、私に糖質制限を勧めるのはやめてください…。あれは内臓の強い、選ばれしもののためのダイエットなのです(あるいは高脂肪食品もやめられる人)